小善と大善
毎日恒例のアウトプットを行って行きたいと思います。
昨日は日曜日だから休んだのではなく、朝イチから夜まで仕事の予定が入っており時間を作ることが出来ませんでした。
いや、正確には少しずつあったスキマ時間を有効活用出来なかったというのが事実であります。
朝の早起き習慣と言い、自分への弱さ・甘さがまだ抜けきっていないのを痛感しております…
すぐには変わらずとも、少しずつ確実に変化していきます😐
余計な前置きが長くなってしまいましたが、、、
本日は稲盛和夫さんの「京セラフィロソフィ」から、「小善は大悪に似たり、大善は非常に似たり」について話をしたいと思います。
多くの人が知ってあるであろう、京セラの起業者でもあり、JALの立て直しや、京都賞の設立など日本社会にとてつもない貢献をしている方です。
京セラにはフィロソフィという、企業理念が多数存在しそのうちの一つになります。
小善と大善
違いが分かりますか?
小善とは・・・目先の幸せ
大善とは・・・長期的に見た幸せ
であると、私は感じました🤔
子育てで言えば、小善とはこどもの世話を全てやってあげて、欲しいものは全部与えて、食べたいものだけ食べさせるようなもの。
それでは、その子は大人になった時どうなってしまうでしょう?
自分のことすらもきちんと出来ず、自分勝手でわがまま、不健康と、長期的に見るとマイナスな部分だらけになりますね😑
これはそのこどもにとって本当に幸せなのでしょうか?
喜ばせるのは意外と簡単なようです。
言い方が悪いですが、餌や好きな物や事を与えれば済む話です。
さらに、それで周りからは優しい人と言われやすいので、勘違いに拍車がかかってしまいますね😐
例えはこどもでしたが、部下も一緒で何でも与えてしまえば、学びを得ることは少ないor無くなってしまい、成長することが無くなってしまいますね😢
成長しないままの、ロボットのような人間にさせてしまうのか、はたまたその環境に嫌気がさして辞めてしまうのか。
結局はマイナスな結果に繋がります。
ですので、人との関わり方を今一度見直し、顔色を伺うのではなく、その人に何が本当に必要なのかを考えて接する事が大切です。
私も初心に帰り、人との付き合い方を考え直していきます。